2008年3月18日
日本史の時間に「なんと(710年)りっぱな平城京、鳴くよ(794年)うぐいす平安京」と覚えたものですが、厳密にはその間にも都は転々としていたんですって。
いにしえの都は、藤原京(674年・現在の奈良県橿原市)にはじまり、
↓
710年に平城京(奈良市・大和郡山市)に遷都
↓
恭仁京<くにきょう>(740年・京都府加茂町)
↓
難波京<なにわきょう>(744年・大阪市)
↓
紫香楽京<しがらききょう>(745年・滋賀県甲賀市信楽町)
↓
同じ年に、ふたたび平城京に戻り、その後、長岡京(784年)、平安京(794年)へと続きます。
平城京遷都から平安遷都までが天平時代。(平城京自体の廃止は810年)
今から1200年以上も前のお話ですが、たびたび“人事異動”やお引越しをするのは、さぞ大変だったでしょうね。
ところで、現存する日本最古の歌集『万葉集』ができたのは、760-770年ごろだとか。全20巻に短歌・長歌・旋頭歌(せどうか)あわせて4500首以上が、それぞれテーマごとにまとめられています。最初は宮廷周辺で皇族や貴族が歌を詠み、やがて都の中・下級官人たちがたしなむようになり、最後は庶民にまで広がっていったそうです。
なかでも春日野を舞台にした万葉歌はとても多くて、春日山、三笠山、飛火野、吉城川(よしきがわ・東大寺南大門前を横切る小さな川)、そして鹿など、私たちが今も目にする奈良の風景が詠まれています。特に奈良公園は、古代貴族や平城宮勤めの人たちが蹴鞠や打毬(だきゅう:クリケット風の遊び)に興じたところで、一方、若草山は、ピクニックやデートの人気スポットだったようです。
◎あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり
(巻3-328番 小野老朝臣)
現代語訳:奈良の都は、咲いている桜の花が匂い立つように美しく今が盛りである。
◎ももしきの大宮人(おほみやひと)は暇(いとま)あれや 梅をかざしてここに集(つど)へる
(巻10-1883番 作者未詳歌)
現代語訳:宮中に仕える大宮人たちは暇(いとま)があるからだろうか、梅をかざしてここに集まっている。(暇さえあれば春日野・・・現在の奈良公園に出かけてピクニックなどを楽しんだのでしょうね・笑)
◎恋衣 着奈良の山に 鳴く鳥の 間無く時無し 吾(あ)が恋ふらくは
(巻12-3088 詠み人不詳)
現代語訳:奈良の山でさえずる鳥のように、休む間もなく、定まる時もないのです。愛しいあなたに恋する気持ちは。(うーん、ロマンチック♪)
短歌で思いのたけを綴り、その返事をまたもらう<相聞歌>はまさに「ラブレター」。こちらは4巻目に多数収められています。
◎春日山(かすがやま)霞(かすみ)たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
(巻4・735大伴坂上大嬢)
大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)さん←長いっ!
春日山に霞がかかってだんだん気詰まってくるように、照っている月を見つつ、今夜は独りで寝るのかしら。
それに対して、大伴家持(おおとものやかもち)さんの返歌
◎月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あしうら)をそせし行かまくを欲(ほ)り
(巻4-736 大伴家持)
月夜には門のところに出て行って、夕占で吉凶を問い、足占いもしてみました。あなたのもとへ行きたいと。もー、ラブラブですね。
万葉集は多くの人に研究されていて、やさしく解説した本やサイトもあります。万葉の人と同じ場所に立って、一句したためてみてはいかがでしょう。
<こぼれ話>
「なんと立派な平城京」は、全国共通の覚え方だと思っていたのに、ふれあい回廊「夢しるべ風しるべ」のスタッフからは「なんと“大きな”平城京、でしょ?」「なんと“きれいな”平城京、だったよ」「えー、なんと“素敵な”平城京ですよ」といろいろが出てきて、ひとしきり盛り上がりました。












